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東京高等裁判所 昭和58年(う)1516号 判決 1984年9月07日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人笠井治、同遠藤直哉、同小野正典、同横田雄一が連名で提出した答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらをここに引用する。

第一訴訟手続の法令違反(審理不尽)の主張について

所論は要するに、被告人が本件現場から逃走するに当たり、現場付近の歩道端に設置されているガードレールのどの部分を飛び越えたかを特定することは、被告人の供述の信用性ひいては原審証人大脇和喜夫、同藤森芳、同矢ケ崎八千代、同目黒友春、同青木徳雄の各証言の信用性に関連し、被告人の罪責の有無を決定するうえで極めて重要であると考えられるところから、検察官が終結された弁論を再開したうえ本件現場付近を検証するよう請求したのに、原審裁判所はその措置をとらず審理を尽さなかつた結果、この点についての判断を誤り、ひいて被告人に対し無罪を言い渡したものであつて、原判決には、この点において判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討すると、本件の証拠関係上、所論のような検証をしなければ、所論の事項について正当な判断をすることができないわけでないことが明らかであるから、所論は採用できない。論旨は理由がない。

第二事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決が、「被告人は、昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者、学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警視庁第七機動隊勤務警視庁警部補大脇和喜夫に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もつて同警察官の右職務の執行を妨害したものである。」との公訴事実につき、被害者である警察官大脇和喜夫、目撃者であり被告人を現行犯人として逮捕した警察官矢ケ崎八千代、同藤森芳、目撃者である警察官目黒友春、同青木徳雄の各証言にはにわかに措信することができない部分が多く、被告人が大脇の左大腿部を一回足蹴りにした旨の一致した証言を信用できないものとして排斥したうえ、結局、本件は犯罪の証明がないことに帰するとして被告人に無罪の判決を言い渡したが、右は証拠の取捨選択及び価値判断を誤り、その結果事実を誤認したもので、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するに、関係証拠によると、被告人が所属していた荒川区民共闘会議の集団示威運動の梯団が機動隊の規制を受けるに至つた経緯は、原判決が「昭和五一年五月二三日午後一時三〇分ころから、東京都千代田区内の日比谷公園野外音楽堂において、部落解放同盟中央本部主催による『石川一雄氏不当逮捕十三周年糾弾、狭山完全勝利』をスローガンとする中央集会が開かれたが、同集会参加者は同日午後三時三〇分ころから右会場を出発し、内幸町―数寄屋橋―鍛治橋―東京駅八重洲口前を通り、呉服橋を経て常盤橋公園に至る集団示威行進を行つた。右集団示威行進の参加団体は部落解放同盟及びその支持団体ならびに東京地評傘下組合などで主催者発表によると参加人員は約一万五、〇〇〇名であつた。右の集会及び示威行進は東京都公安委員会の許可を受けたものであつたが、右の許可には、集団示威運動に際し、その行進隊形を五列縦隊とし、だ行進、うずまき行進、ことさらなかけ足行進など交通秩序をみだす行為をしないことなどの条件が付されていた。被告人は東京都交通局に車掌として勤務していたが、いわゆる狭山事件について同事件の被告人石川一雄は無実であり、同被告人を有罪とする裁判は許されないとの信念のもとに荒川区民の一人として前記集団示威行進の参加団体の一つである『同対審』狭山荒川区民共闘会議の梯団に参加し、前記行進順路に従い集会会場から数寄屋橋交差点手前付近までは約二〇名の集団の一員として四列縦隊の最前列右側第二列目に位置して行進していたが、数寄屋橋交差点手前付近で、ハンドマイクを用いてシュプレヒコールをしていた岡田行雄と交替し、以後同梯団の先頭部列外の概ね右側を歩きながら、ハンドマイクで『部落』『石川』とコールすれば、梯団員において『解放』『奪還』と呼応するなどのいわゆるシュプレヒコールをしつつ、時には道路中央線付近に及ぶだ行進を繰り返すなどして東京駅八重洲北口前付近に到達したところ、同梯団は、偶々、同所付近で違法な集団示威運動の規制と交通確保の任に当つていた警視庁第七機動隊第一中隊第一小隊(小隊長大脇和喜夫警部補)の規制を受け、同小隊から併進規制されながら同日午後四時二二分過ぎころ同北口の北方に位置する国際観光会館(東京都千代田区丸の内一丁目八番三号所在)前付近に至つた。」と判示しているとおりであることが認められ、右事実経過については検察官も被告人、弁護人も争うところはない。

そして、検察官は、右経緯の後、被告人が公訴事実のとおり大脇小隊長(以下大脇という。)に対し暴行を加えた旨主張し、原審公判廷において、被害者とされる大脇が、被告人から公訴事実のような暴行を受けたとして、原判決三丁裏一二行目ないし五丁裏二行目までに記載されているような証言を行い、また、同小隊所属の矢ケ崎八千代巡査及び目黒友春巡査部長(以下、それぞれ矢ケ崎、目黒という。)は、被告人の右暴行を目撃した旨証言し、藤森芳巡査及び第七機動隊長青木徳雄(以下、それぞれ藤森、青木隊長という。)も、右暴行の存在を推認するに足る被告人及び大脇の行動を目撃した旨証言しており、これに対し、被告人は大脇を足蹴にしたことはない旨一貫して主張し、原審公判廷において原判決二〇丁表五行目ないし同丁裏一二行目までに記載されているとおり供述し、荒川区民共闘会議の梯団の構成員であつた森田正実、岡田行雄及び吉田勉も被告人の供述に沿う証言をしているのである。そして警察官らの証言と被告人の供述及びこれに沿う証人の証言とは、暴行の存否の点のみでなく、被告人らの梯団が大脇らの機動隊に規制されてから被告人が逮捕されるまでの間の経緯全般について甚だしく相違し、本件において、公訴事実記載の暴行を認定することができるかどうかは、右警察官らの証言の信用性を認めることができるか否かにかかるといわなければならない。

以下所論にかんがみ、この点に関する原判決の判断の当否につき検討する。

(一)  まず所論は、原判決が、もし被告人所属の梯団が、大脇ら警察官証言にあるように、東京駅八重洲北口付近から第一鉄鋼ビル入口前付近路上までの間に道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰り返したというのであれば、違法な集団示威運動(以下、デモという。)を含む違法行為の採証のため写真撮影に従事していた警察官五十嵐一敏(以下、五十嵐という。)が、青木隊長から違法状況の撮影を命ぜられていながら、たとえ適当な撮影位置を求めて先行していたとはいえ、右だ行進の状況を撮影しないはずがないにもかかわらず、その間の写真は右梯団が左側第一車線に規制された状況を撮影した五十嵐作成の写真撮影報告書添付No.24の写真(以下「五十嵐写真24」といい、他の写真もこれに準じて略称する。)があるだけであることは不自然であり、右写真に撮影された状況をもあわせて検討すると、違法なだ行進を繰り返した旨の大脇ら警察官の証言にはかなりの誇張が含まれているといわざるをえないとし、これを警察官の証言の信用性を否定する理由としているが、五十嵐証言及び「五十嵐写真24」に撮影された状況を的確に把握し正当に評価すれば、五十嵐がだ行進の状況を撮影しなかつたことをもつて不自然であるというのは失当であり、これをもつて警察官証言の信用性を否定する事由とすることは誤りである、というのである。

しかしながら、第七機動隊所属の警察官で本件当日、デモ参加者による違法行為の状況を把握するため、採証活動として写真撮影に従事していた五十嵐は、同日午後四時二二分ころ東京駅八重洲中央口付近でデモに対する警察官の規制の状況を撮影(「五十嵐写真23」)した後、一旦呉服橋交差点の手前まで先行したが、約二分後の同四時二四分ころ再び第二鉄鋼ビル前路上タクシー乗場付近まで戻つて来たところ、青木隊長から被告人所属の梯団のデモの状況を撮影するよう命ぜられ、同二五分ころ同所付近で「五十嵐写真24」を撮影し、更に、右デモ隊が警備部隊に突き当る違法行為をより明確に写すことのできる適当な撮影場所を選定するため、デモの状況を見ることなく、まつすぐ前方を向いたまま呉服橋交差点方面に進み、振り返つてみたら、第一鉄鋼ビル玄関入口前付近の被告人に対する逮捕状況が目に入つたので、同二七分ころこれを撮影(それが「五十嵐写真25」)したと述べるとともに、弁護人の「あなたは24の写真を撮つた時には、青木さんから指示されるまでは撮ろうとは思わなかつたわけですか」という質問に対し「ありません」と答えているのである。すなわち、五十嵐の証言によると、同人が青木隊長から被告人所属の梯団の違法行為を撮影するよう指示されたのは、「五十嵐写真24」撮影の直前であるというのであるが、もし青木隊長が証言するように、被告人所属の梯団が道路中央線を二、三メートル越える大きなだ行進をしているときに五十嵐にその撮影を命じたのであり、また青木隊長、大脇ら警察官が一致して証言するように、同写真に写つている場面の前後において道路中央線に達するだ行進をしていたのならば、五十嵐は指示を受ける前呉服橋交差点の方から逆戻りして来たというのであるから、同写真を撮影する前に行われたというだ行進を目撃しかつその任務に照らしその場面を撮影してよいはずなのに、同人はだ行進を目撃したとの証言をしていないし、だ行進の行われた場面の撮影もしていない。また、五十嵐は「五十嵐写真24」を撮影した後、被告人所属のデモ梯団の全体像をとらえ、違法なデモの状況を撮影するため、適当な撮影場所を求めて先行したというのであるが、被告人所属の梯団は約二〇名から成る小規模のものでその全体像をとらえて撮影するのはそれほど困難であるとは思われず、次の「五十嵐写真25」が撮影されるまでの約二分間、数十メートル(「五十嵐写真24」と「同25」と撮影場面の間の距離は七七メートル)も先行しなければならない必要性があつたとは思えないばかりでなく、この間目前に違法行為が行われまた更に行われようとしていたというのであるから、青木隊長から命ぜられた任務を全うするため、当然に、先行するに際し後方を振り返るなどして時々刻々変化するデモ梯団の位置状況を確認しつつ違法行為を的確にとらえて撮影しなければならなかつたはずであつたのに、この間後方から来るデモ梯団に注意を払わずその状況を見ないで「五十嵐写真24」撮影後に行われたという道路中央線に達するだ行進を撮影していないのは、まことに不自然不可解といわなければならず、むしろ、「五十嵐写真24」の前後に警察官証人らが証言するようなだ行進の写真が一枚も撮影されていないことは、そのようなだ行進が行われていなかつたためではないかとの合理的な疑いをいれざるを得ないのである。

なお、「五十嵐写真24」に写されているデモの状況からすると、被告人所属の梯団が平穏かつ整然とした行進をしていたものでないことがうかがわれないわけではないし、機動隊員の規制に反発ないし突き当つている状況が看取されるところから、だ行進をしようとする意図を推認することが不可能ではないにしても、このことだけから、直ちに現実に規制を排除して道路中央線に達するだ行進が行われたと結論づけることができないことはいうまでもなく、大脇らの証言のように、右写真がまさにだ行進を開始しようとしている状況であり、かつ、この場面の後道路中央線に達するだ行進が行われたとすると、五十嵐がその状況を撮影しなかつたことに対する疑念がさらに深まるものがあり、右写真をもつて大脇ら警察官証人の証言を裏付けるものと評価するのは相当でない。

以上の次第で、被告人所属の梯団が道路中央線に達するまでのだ行進を二回繰り返した旨の大脇ら警察官の証言にはかなりの誇張が含まれているといわざるを得ないとし、このことが被告人の行為の動機とも密接に関連するものであることに注意する必要がある、とした原判決の判断は相当であり、所論は採用することができない。

(二)  所論は、被告人が本件現場から逃走した地点及び方向に関する原判決の事実認定には誤りがある、すなわち、原判決は、「大脇らは、被告人が大脇小隊長を蹴つたのは第一鉄鋼ビル入口の右端前路上であり、被告人はそこからガードレールを飛び越えてほぼ一直線に逃げ、警察官に取り押えられたのは同入口の左端付近であつたと証言し、これによると、被告人は大脇を蹴つたのちデモの順行方向とはむしろ逆の左斜め後方に逃走したことになる。」とし、この点について目黒証人がガードレールの切れ目を通つて被告人を追跡したように覚えている旨証言していることをとらえて「他の警察官証人が一様にガードレールを飛び越えて被告人を追跡したと証言しているなかで、しかも第一鉄鋼ビルの前面にはガードレールがかなりの距離にわたつて設置されていることを知つている目黒が、その切れ目を通つて被告人を追跡したと供述していることは決して無視し得ないものと思われる。しかも、目黒は被告人の逃走と同時に被告人の方へ走り寄つて行つたというのであるから、目黒の右供述は、被告人が供述するとおり、その逃走地点は、第一鉄鋼ビル入口前付近というよりは、それより東京駅寄りの歩道上に設置されている配電盤ボックス付近との認定を支持する有力な証拠となるものと思われる。」と判示しているところ、目黒証言を子細に検討すると、「ガードレールの切れ目から行つたように覚えている。」という供述は、同人が明確に記憶していないことであることが明らかであるのに、これを断定的に証言しているものとして前示のごとき認定をした原判決には、その証拠の評価を誤つた違法がある、というのである。

そこで検討するに、この点に関し、目黒を含む警察官証人は、一様に、被告人が大脇を蹴つたのは第一鉄鋼ビル入口右端前付近路上であり、被告人はそこからガードレールを飛び越えてほぼ一直線にデモの進行方向とは逆に左斜め後方に逃走し、大脇、藤森、矢ケ崎各警察官も直ちに被告人とほぼ同一の経路を通り、同ビル入口前付近のガードレールを飛び越えて追跡し、同ビル入口の左端付近において被告人を取り押えたと述べるのに対し、被告人は、第一鉄鋼ビルの南端(東京駅寄り)付近の歩道上に設置されている配電盤ボックス付近のガードレールを飛び越え、デモの進行方向と同じ前方に向つて逃走し、途中追跡して来た警察官に腕をつかまれ、一旦歩道に座り込んだが、結局第一鉄鋼ビル入口の左端付近まで連れて行かれたと述べ、両者の供述には著しい差異が存するのである。

ところで、目黒は、検察官の主尋問に対し、前同旨の証言をするとともに、犯行が行われると同時に私とか矢ケ崎が被告人の方へ走り寄つて行つた旨供述し、更に、弁護人の反対尋問において次のような問答がなされている。

主任弁護人笠井治作成の写真撮影報告書添付の写真が示され、

被告人の逃走経路はこの写真で言うとどういう所になりますか。

鉄鋼ビルの入口の黒い柱がありますけれども、これの延長線上辺りにいたわけですよ。そこで犯行が行われてからデモの進行方向と逆のほうへ、若干、といつても一メートルか二メートルぐらいですね、斜めに下がるように柵を乗り越えて逃走したわけです。

それで、被告人が機動隊員に事実上身柄を拘束された場所はどこら辺ですか。

以下中略

被告人の指揮するデモ隊の後側の梯団がこの歩道上へどやどやと上つて来て、それで旗持ち四、五名がくつついて来たんですよね。矢ケ崎が逮捕しているときにね。だからちようど鉄鋼ビルの柱にジュラルミンの旗ざおが突き刺さつたのを覚えているんですよ。であれがぐにやつと下がつたんですよ。で、特定できるわけですよ。

以下中略

あなたの現在の記憶でもちろん結構ですけれども、先程来の証言によると、被告人が逃走してつかまつた位置ね、まあ全部の経路を通して第一鉄鋼ビルの門の向つて左側よりも東京駅に近い方にいるということはありますか、ないんですか。

そこまで特定しろというと、正確な答じやなくなつちやうんですよ。とにかく、私が覚えているのは旗ざおが、とにかく突き刺さつて曲つたんだと、で、その場所は右端の柱だと思うんですよね。だからそれが頭にあるから右端の付近じやないかなと思うんですけれども。

前出の写真を示し

あなたが追いかけた経路をやはりこの写真で説明して下さい。

この犯行が行われた場所から、私はそこを飛び越えないで、ガードレールの切れ目があるんですよ。その切れ目から行つたように覚えているんですね。それで玄関の所まで行つたら旗持ちが突きかかつて来たんで、私は今度左向きをしてその阻止にあたつたわけです。

ガードレールの切れ目、この写真でわかりますか。

ちよつと分からないんだけど………。この辺、切れてるんだな。この写真では。

この辺というのは第一鉄鋼ビルの玄関の前付近ですか。

ええ。

去年の五月二三日は何曜日だつたか記憶していますか。

ちよつとそこまでは覚えていません。

日曜日だというのは。

忘れました。

それで第一鉄鋼ビル玄関前のガードレールというのは開いたり閉まつたりする可動式のものであるということは知りませんか。

ちよつと、私、記憶にないです。

それが日曜日は閉まるということは知りませんか。

ちよつと分からないですね。私はね、覚えているのは、とにかく、被告人はここをまたいでひつくり返りそうになつたと、で、私は切れ目か何か、そこからおれは行つたように覚えているんだね。足短いから、おれは。

そこで、写真で判断してもらいたいけれども、被告人の逃走した経路、柵を乗り越えた位置を中心にして、あなたが追つた経路は左か右か分かりますか。

被告人が逃げた経路とほぼ同じに行つたです。

で、あなたの場合には、柵がない所を行つたように記憶しているということですか。

ええ、そうです。

検察官は、右の証言の経過に照らし、目黒の記憶は①第一鉄鋼ビルの入口柱に旗ざおが突き刺さつて曲つたことの記憶から犯行の場所は同ビル入口付近であるということと、②被告人が逃走の際ガードレールか植込みかに足をとられてひつくり返りそうになつたので、その場所を避けて足をとられないところから行つたということの二つに尽きており、その避けて通つたところがガードレールの切れ目であるとの明確な記憶がなかつたことが十分認められると主張するのである。しかしながら、検察官の右主張は明らかに目黒証言中の「切れ目から行つたように覚えているんですね。」「私は切れ目か何か、そこからおれは行つたように覚えているんだね。足短いからおれは。」とある部分、及び弁護人の「あなたの場合には、柵のない所を行つたように記憶している、ということですか」との確認の質問に、「ええそうです」と明確に肯定の供述をしている部分と矛盾し到底採用することはできず、右証言の具体性に照らし「切れ目部分を通つて追跡した」との証言部分は、単なる思い違いであるとか、記憶に基づかないものであるということはできない。

目黒は、差戻し後の当審において、同人が記憶していたのは、被告人がつまづいたので自分は転びたくないと思つたということであり、実際どこを通つて行つたかについては記憶になかつたけれども、原審の証人として出廷する数日前、本件現場を見に行つたとき、第一鉄鋼ビル入口前の可動式のガードレールが開いていたのを見て、ここが開いているので多分ここを通つて追跡したのであろうと思い込み、前記のとおり証言したが、弁護人から示された写真には右ガードレールの部分が閉まつていて自分が見た状況と違つていたため、おかしいなと思いながら「……この辺切れてるんだな。この写真では。」と途中で途切れた答をし、さらに「私は切れ目か何かそこからおれは行つたように覚えているんだね。」という証言中の「何か」とは植込みの切れ目といいたかつたのかもわからない、と所論に沿う供述をするに至つているのである。

しかしながら、もともとガードレールの切れ目を通つた体験とその記憶がないのに、被告人がつまづいたのを見て自分は転びたくないと思つたという記憶と後日現場でガードレールの切れ目を見たことから、直ちにその切れ目を通つたと思い込んだというのは、短絡的で首肯しがたいところであり、同人にはもともとガードレールの切れ目を通つた体験とその記憶があつたからこそ、そのように思い込んだとみるのが合理的であり、当審における証言をもつてしても、原審における証言は思い違いで誤りであるということを納得させるに足る合理的な説明はなされていないというべきである。

そして、第一鉄鋼ビル前面の歩道端には車道との境に沿つてガードレールが設置されていて、同ビル正面入口前の部分は開閉式(可動式)となつていて、日曜日は終日閉鎖され、本件当日は日曜日であつて野坂熙作成の写真撮影報告書添付写真No.20に写つている右ガードレールは閉鎖状態にあるように見え、当時、右開閉式のガードレールが開いていたりあるいは目黒がこれを開けたと認めるべき証拠は皆無である。また、右ビル正面入口前の開閉式ガードレールから東京駅寄り二三メートルないし二八メートルの地点にはバス停留所があつて乗降口に対応する二ケ所の部分にガードレールの切れ目が存在し、そこから更に三メートル七三センチメートルの位置に配電盤が設置されているところ、目黒が、被告人の逃走経路とほぼ同じ経路を走つてしかもガードレールの切れ目を通つて追跡したとすると、ガードレールの設置状況に照らし、同証言にいう切れ目とは、(同人は当審において否定する証言をしているが)右バス停のそれとみるほかはない。結局、目黒証言は、現場付近のガードレールの設置状況からみると、被告人の逃走地点を第一鉄鋼ビル入口右端前付近とすることと矛盾する証拠であるばかりでなく、むしろ、逃走地点は、被告人が供述するように、右配電盤の付近であると認定する有力な証拠になるものといわなければならない。

なお、検察官は、警察官らが被告人を検挙した際、他のデモ参加者がこれを妨害したため、目黒においてその阻止に当つたが、その際バス停のガードレールの切れ目を通つた可能性があるところから、それを追跡時に切れ目を通つたように錯覚して、前記のような供述になつたものと思われる旨主張するが、その切れ目を通つたのが主張のような経緯によるものであることを認めるに足る証拠は皆無であつて、右の主張も採ることはできない。

加えて、差戻し後の当審証人北村小夜子の証言によると、本件当日、デモに参加した北村は、被告人所属の荒川区民共闘会議の梯団の前方をかなりの距離をおいて先行していた南部地区共闘会議の梯団と行動をともにし、同梯団の最後尾左側を進行していたところ、後方からデモ隊の一人が警察官に囲まれたまま激しい勢いで進んで来たので、思わずデモ隊員を助けようとその方へ行つて騒ぎに巻き込まれだが、その際の状況が写されている「野坂写真18、19」及び「柴崎写真17」に同人も写つていることが認められる。そして、南部地区共闘会議の梯団が被告人所属の梯団の前方を先行していたことは、原審における被告人の供述や森田、吉田、岡田らの証言によつても認められるところ、もし警察官証人がいうように、暴行現場が第一鉄鋼ビル玄関入口前付近の路上であり、被告人が同所のガードレールを飛び越えてデモの進行方向と逆の方向に逃走したとするならば、先行していた北村がこの騒ぎに巻き込まれる可能性も写真に写される余地も全くないのであり、同人が右写真に写つていること自体、右警察官らの証言の真実性を否定するものであり、反面、この点に関する前記の被告人の供述の真実性を裏付けるとともに、目黒のガードレールの切れ目を通つて追跡した旨の証言の真実性をも裏付け、しかもその切れ目がバス停のそれであることを推認させるものといわなければならない。

更にまた、検察官は、野坂写真等を子細に検討し、特に、「同写真18」は、被告人が警察官に取り押えられた直後の状況を写したものと考えられ、これに写されている出動服の警察官は、ほぼ全員呉服橋交差点方面に背を向け、東京駅方面を向いて被告人を制圧しており、また被告人奪還を阻止する防護線が張られておらず、指揮棒を持つた青木隊長が横から制止に入つているなどの状況からすると、出動服の警察官は呉服橋交差点方面から東京駅方面に向つて被告人を追跡したものとみるべきであり、これに反する被告人の供述は虚偽であるという。また、「野坂写真18」に写されている場所は、前記配電盤の呉服橋交差点側の角から23.5メートルも離れた位置にあつて、被告人がいうように、配電盤よりも東京駅に寄つた地点が逃走開始の地点であるとすると、右の間隔はさらに拡大することになり、関係証拠と対比すると、この距離があまりにも離れすぎるのであつて、この点からも逃走地点に関する被告人の供述は虚偽であるという。

しかしながら、「野坂写真18、19」には、被告人所属の梯団の指揮者であつた吉田と旗持の森田が第一鉄鋼ビルの玄関入口よりも東京駅寄りの地点において呉服橋交差点の方向を向いて警察官に立ち向つている状況が写されていて、同人らが、被告人が東京駅寄りの方面から呉服橋交差点方面に向け逃走したのを後方から追いかけ、先行した警察官に阻止されている状況とも読みとれるのであつて、NO.18の写真を検察官が主張するようにのみみなければならない根拠はなく、これら野坂写真が警察官証人の証言と矛盾するとまではいえないにしても、原判決がいうように、その逃走経路は被告人が供述するとおりであるとするほうが、より自然にその説明をすることができるのである。またNO.18の写真に写し出されている場所と配電盤との距離がありすぎるとの点については、被告人の供述がすべて正しいとは言えないにしても、デモ隊員の一人(被告人)が警察官に囲まれたまま激しい勢いで進んで来た、という前記北村小夜子の証言とあわせて考察すると、所論のように、No.18の状況場面が、被告人が最初に取り押えられた場面と断定するのは相当ではなく、それより東京駅寄りの地点で腕や身体をつかまれ、連行されてNO.18の地点に来たことも十分推認できるところであるから、NO.18の地点と被告人のいう逃走地点との間の距離が相当あることを被告人の供述の信用性を全面的に否定する論拠とすることはできないのである。

そして、被告人が逃走を開始した場所が、どの地点であつたかを確定する証拠はないが、前記認定の諸事情を検討し、被告人の供述やこれに沿う吉田、岡田及び森田らの原審における各証言を総合すると、その地点が第一鉄鋼ビル入口よりかなり東京駅に寄つた配電盤付近であるという被告人の主張は十分理由があり、これを否定することはできない。

以上の次第で、警察官証人らの証言は、その内容が客観的事実に反しているのに不思議に一致しているという奇妙な様相を示しているのであり、このほか、藤森及び矢ケ崎共同作成にかかる現行犯人逮捕手続書添付の図面及び大脇作成にかかる昭和五一年五月二八日付見取図(同人の検察官に対する同日付供述調書添付のもの)では、本件の暴行がなされた地点及び逃走地点が警察官証人らが証言する地点よりも更に約四〇メートルほど呉服橋交差点に寄つた第一鉄鋼ビル北端前付近とされていることなどに徴すると、逃走地点に関する警察官証人らの供述の一致は、はたして各証人の記憶が一致している結果によるものであるか疑問であり、従つて、右供述の一致のゆえに信用性が高いとは必ずしも言えないことを考慮すると、少なくとも、この点に関する警察官らの証言の信用性に合理的疑いをいれる余地があることが明らかであるというべきである。

(三)  所論は、原審において大脇が「被告人は右足の靴の爪先で一歩くらい前の方にいた大脇の左大腿部前面付近をぽーんと蹴つたこと、及び、その結果同日午後八時三〇分ころには同部位に一〇ないし一五センチメートル四方くらいの発赤があり、三日間くらい湿布薬を塗布する自家治療をしたところ、痛みが一週間くらいでとれたので、特に診断書の作成も求めなかつた」と証言したのに対し、原判決は、「当日被告人は爪先の丸くなつているゴム底のビニール製レインシューズを履いていたことが認められ、大脇証言にいうように一歩くらいの間隔を置いて右レインシューズで大腿部を蹴られたとしても、はたして三日間も湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間も続くほどの傷害を受けるものか甚だ疑わしいばかりでなく、もし右程度の傷害を受けたのであれば、専門医の診察治療を求め公務執行妨害罪の証拠として診断書の作成交付を求めるのが捜査官としての常識であるのに、これをしなかつたのは、はたして傷害があつたのか甚だ疑わしいというにとどまらず、被告人の暴行そのものがあつたかどうかすら疑わしめるものがある。」旨判示し同人の証言の信用性を否定したが、右は取調べた証拠を無視し、予断と偏見に満ちた一方的判断である、というのである。

たしかに、被告人から暴行を受けたとの大脇証言のほか矢ケ崎、目黒の両名は被告人の右暴行を目撃した旨証言し、藤森及び青木隊長も右暴行の存在を推認するに足りる被告人及び大脇の行動を目撃した旨証言していることは既に判示したとおりである。

しかしながら、三日間の湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間も続く程度の傷害は、本件のような事案においては、その原因となつた暴行を公務執行妨害罪として立件する以上、傷害罪としても立件することがとくに異とされない程度のものであると考えられるのみならず、仮に立件しないとしても、受傷の事実を立証する証拠は公務執行妨害罪の重要な客観的証拠となりうるのであるから、いかに複数の警察官の目撃がある現行犯逮捕の事案であるとはいえ、専門医に診断書の作成交付を求め、あるいは患部の写真撮影をするなどの証拠保全をしておくのが警察官として当然の措置であつたろうと考えられる。まして、本件においては、被告人は本件暴行を認めていたわけではないのであるからなおさらである。大脇は、医師の診断を受けなかつたことにつき、「機動隊員は本件発生当時のデモの行われやすい時期には週に三、四回もしくは四、五回の警備出動を余儀なくされ、その出動のたびに多数の隊員が発赤、かすり傷程度の傷害を負つており、もしこれらの隊員の全員が医師の診断を受けるため休暇をとつていたのでは連続した警備出動に支障をきたすところから、軽微な傷害の場合はほとんどの隊員が自分で手当をして済ませていたのが現状である。特に本件の場合、当初から傷害の点は立件されず、暴行による公務執行妨害罪で立件されていたから、大脇としては自己を含め目撃者も多数存在し、何よりも現場における現行犯逮捕の事案であるから、将来の立証には何等支障のないものと考えるとともに、機動隊の小隊長という職責にかんがみ、この程度の傷害で警備出動に支障が生じてはならないとの配慮から、あえて医師の診断を求めることなく、職務を終り、帰宅してのち自家治療をしたものである。」と説明している。

しかし、事件として立件されていない一般的な受傷については右のような説明が成り立ちうるとしても、本件のように被疑者を逮捕した事件にかかわる受傷について、右の説明は納得できるものであるとはいえない。のみならず、差戻し前の当審において取調べた大脇作成名義の五一年五月二四日付被害届には受傷の事実の記載はなく、また通常の被害届にみられる官憲の受理印や捜査関係者の認印が一つもないことに徴すると、その作成の経緯についても疑念がないわけではなく、さらに差戻し後の当審において取調べた大脇の検察官に対する昭和五一年五月二八日付供述調書抄本によると、大脇は検察官に対し、「この指揮者から蹴飛ばされたところは翌日まで痛みが続きました。」と述べているのであつて、右供述の趣旨は事件の翌朝を過ぎてからは痛みがなくなつたことを意味するものであつて、同人の原審における前記のような証言と明らかに喰い違うものである。なお、差戻し前の当審において、大脇は上司である杉森中隊長(以下杉森という。)に傷を見せた旨証言するのに対し、杉森は大脇から傷を見せられた記憶はないが、もし見せられていれば多分医者に行けと言つていると思う旨証言しているのである。

以上の諸点にかんがみると、受傷に関する大脇の証言には相当の疑問をいれる余地があるといわなければならない。なお、差戻し後の当審において、目黒は、「本件当日大脇らと帰隊し、中隊幹部室において出動服を着替えている際、大脇が中隊長に何か話をしていた。かしこまつた報告じやなかつたんですが今日蹴つ飛ばされましたというような感じで話していたと思うんです。説明の内容は細かいことまで聞いていません。私は大脇の隣ですから、別に見るつもりでもなかつたが、話をしながらズボンをまくつたか降ろしたかして話をしているときに蹴飛ばされたところが、左の膝の上といいますか、大腿部といいますかその付近ですが、握りこぶしの半分くらいですか、赤くなつているのを見たんです。目黒の席と中隊長の席の間は約2.8メートルで、螢光灯の照明で明るく、見えたんです。」と証言している。しかし、右証言自体あいまいな表現が多く、前記のとおり杉森自身は見た記憶がないと述べていることや、仮に大脇が蹴飛ばされたとしても前示認定の経緯から同人が言うような受傷の状況であつたとはとうてい考えられないことにかんがみると、螢光灯の光で明るかつたとはいえ、はたして発赤がみえる状況であつたのか疑いなきを得ないのであつて、このような目黒の証言をもつて前記大脇証言の信用性に関する疑念を払しよくすることはできない。してみると、この点に関する所論も採用できない。

(四)  所論は、原判決は「矢ケ崎が主尋問において、被告人が大脇に暴行を加えたのは『五十嵐写真24』に撮影されている状況の直後であると供述しながら、反対尋問において右供述を訂正し、右写真は第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近におけるデモの行進状況であつて、被告人が暴行を加えたのは、そこから更に二〇〇メートル(この点も後に七〇メートルないし八〇メートルと訂正)前方の第一鉄鋼ビル玄関入口前の車道上であると訂正している点は同証人が記憶に基いて供述しているのかどうかを判断するに当つて注意しておかねばならない点と思われる」とし、また、「藤森も、『五十嵐写真24』は被告人が大脇に暴行を加える直前の状況を写したものであり、『同写真25』と同じ場所付近の車道上であると供述しているのであつて、同人も記憶に基づいて供述しているのか疑わしい」と判示しているところ、矢ケ崎が「五十嵐写真24」の位置を法廷において作成した見取図に書き込むに当たり、当初第二鉄鋼ビル前の車道にこれを記入したが、検察官に念を押された際勘違いをして右の書き込みを消したうえ改めて第一鉄鋼ビル入口前の本件犯行直前の地点にと書き込んでしまつたのであり、後日誤りに気づいて反対尋問に際しこれを訂正したのであつて、このことは最初の書き込みが完全に消去されずその痕跡を右図面上にとどめていることから明らかであり、また藤森の証言については同写真に写つているデモの状況は、梯団が道路中央部に進出しようとする場合にはまま見受けられる場面であり、犯行直前の状況と類似していたため同人が勘違いをして前記のとおり述べたのであつて、これら両名の勘違いにより指示供述の過程に配慮することなく、事実とそごする供述をしたことのみから、その証言の全体の信用性を否定する原判決の判断は偏見にみちた独断であると論難する。

しかし、矢ケ崎証言の訂正に関する公判の経過について、審理に立会つている弁護人は答弁書において検察官の主張を争つていること、及び同図面の消痕は単にの表示のみではなく、建物の位置関係を示す部分にも存し、「鉄鋼ビル」「三菱銀行」なる表示について消しゴムで消された痕跡が、正しく記載された右建物表示の左側にそれぞれ残つており、消去された「鉄鋼ビル」の痕跡に対応する道路部分にの消痕があること、及び原審裁判長の質問に対して同写真は本件犯行現場の直前付近の状況であると明言し、前示の被告人の逃走開始地点の認定経過に照らすとそれが必ずしも勘違いであるとは言いがたいこと等を総合すると、右の訂正の過程が所論の経緯によるものとはにわかに判断しがたい。そして原判決が矢ケ崎及び藤森の証言の信用性に疑問を抱いたのは、原判決の判文に照らして考察すると同証人らが、「五十嵐写真24」の場面が犯行直前の状況であると説明したことのみによるものではなく、むしろ同人らが、前示のとおり被告人の逃走地点に関し客観的事実に反して、第一鉄鋼ビル入口付近である旨、他の警察官証人と奇妙に一致する証言をするとともに、これに符合させるため、第二鉄鋼ビル前の状況である右写真の場所に気づかず、これを第一鉄鋼ビル入口前付近の状況であると説明したことによるものであることが明らかであつて、このような事情を同証言の信用性判断の資料に供したからといつて、これを偏見にもとずく独断であると論難するのは失当である。

(五)  所論は、被告人に対する警告に関し、原判決が、「青木隊長は、第七機動隊の隊長として自ら被告人らの梯団の規制に乗り出し、しかもデモの指揮煽動者と認めた被告人に対して指揮棒を鼻先に突きつけてまで警告を発していた状況からすると、被告人に対する警告は主として青木隊長がしていたとみるのが自然であり、大脇が約二〇回ぐらい警告を発し、青木隊長はタクシー乗場付近で同旨の警告をするのみであつたとして、あたかも警告の主役が大脇であるかのように述べる大脇証言及びこれに追従する藤森、矢ケ崎、目黒証言は被告人及び青木の供述と対比するとたやすく信用できない。」とし、「主として大脇が被告人に警告していたとの大脇証言は自己の警告をことさら誇張して供述しているとの疑いを差しはさまざるを得ず、多分に『五十嵐写真24』に撮影された状況に影響され、これに引きずられて供述したのではないかとの疑念を払しよくすることができず、このことは被告人の『暴行』が警告を受けた当面の相手である青木隊長ではなく、その傍にいた大脇小隊長に対してなされたとする本件暴行の動機を考慮するうえで重要なことと考える。」と判示し、あたかも被告人には大脇を蹴る動機がなかつた旨判断しているが、これは事実誤認に基づくものである、という。

そこで考察するに、大脇は原審において、「青木隊長の命令で被告人の梯団の規制に当つたが、同梯団先頭部の前方概ね左側に位置してデモ隊を指揮していた被告人に対し、だ行進を指揮するたびに約二〇回くらい『ジグザグ行進はするな、いつまでもそういう行進をしていると公安条例違反で検挙する。道路の左端に沿つた正しい行進に移れ』という警告を繰り返し発した。」「青木隊長は、前へ行つたり後へ行つたりして被告人の指揮するデモ隊についていないこともあつたので同人が、被告人に何回警告したかわからない。青木隊長が被告人の梯団についていた場所については、規制命令を受けた国際観光会館前付近、第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近及び本件の現場である第一鉄鋼ビル玄関入口前路上、以上三ケ所にいたこと、及び同人が右タクシー乗場付近で自ら警告したのは覚えているが、同人は被告人所属の梯団から離れたこともあり、同人が警告したのはタクシー乗場付近での警告以前には見ていないし、またタクシー乗場から犯行場所までの区間でも見ていない。」「大脇が第一鉄鋼ビル入口前付近で警告する少し前に青木隊長が近づいて来たのを認めた。」「第一鉄鋼ビル入口前路上で被告人の所属する梯団をようやく歩道際まで規制したところ、被告人がまたもや右手を道路中央の方へ向けてデモ先頭部に道路中央へ行けという動作をしたので、これを阻止するため、被告人に一歩近づいて『デモの頭を歩道の方へ向けさせろ』と大きな声で言つたところ被告人から蹴られた」等と供述しているが、これに対し、青木隊長は、「国際観光会館前付近において、大脇小隊長に被告人の梯団の規制に当るよう命じるとともに、被告人に対し、ジグザグデモをやめなさい。マイクであおるのもやめなさい。デモをもつと左につけなさい、という警告をした。」「以後六回程警告したが、最初はやわらかい表現で警告したが、言うことをきかないので、二回目ぐらいからは命令口調で『やめろ』とか『寄せろ』とかいう口調で警告している」「被告人は三回くらいまでは警告を無視し、かえつてマイクの声を張り上げてシグザグデモをあおりながらデモ隊を部隊につつかからせて反抗的態度を示した。」「被告人は三回目の警告ぐらいまでは、デモ隊の先頭部の前方右側にいたが、青木隊長においてなおも警告を無視する被告人に対し、手にもつていた指揮棒を突きつけながら、声を荒らげて『どうして君は警告を無視するんだ。やめろといつたらやめろ。』などと強く警告したため、被告人は前記タクシー乗場にさしかかる直前ころ、青木隊長から離れてデモ隊の先頭部左側に移動した。(「五十嵐写真24」はその直後の写真である。)」「最後は何回言つても言うことをきかないので、被告人の近くまで近寄りその鼻先へ指揮棒をつきつけるようにして『おい、君のやつていることは公安条例違反になるんだ。なぜ分からないのか、どうして警告を無視するんだ。いつまでもきかないと逮捕するぞ』と厳しい口調で警告し、にらみつけてやつた。被告人もだいぶかつかしていたと思うが、顔をこわばらせて全然口もきけないような状態であつた。」「このように警告してから、デモ隊がずつと道路左側へ寄つたがまたセンターラインの方に向つてくるわけである。こういう際にはいつも被告人はマイクでもつて『部落』とやり、『解放』というような調子にもどつて足並みをそろえてジグザグをやるわけだが、そうやる前に大脇が被告人の前に立ちはだかるようにして制止し、それに対して暴行事件につながる一連の動きがあつた。」「被告人の『部落』というコールが始まつたので大脇が出て行き、デモ隊先頭部の中に入つていた被告人に近づいて、内容までは覚えていないが、一言二言警告した際蹴飛ばされたのであり、この間に『部落』『解放』、『石川』『奪還』と被告人の唱導で二回シュプレヒコールが繰り返された」「なお青木隊長が一、二回の警告をする間、大脇が警告したのは見ていないが、警告をするよう指示しているし、二回目と三回目の間には大脇も同程度の警告をしていると思う」と供述し、両者の供述の間には重要な部分においてかなりの違いがあるところ、青木隊長の供述を被告人の供述及び森田、岡田並びに吉田の原審における証言と対比して考察すると、被告人の梯団がジグザグデモをしたとの点や大脇が警告したとの点を除き、被告人の梯団における位置関係、警告の状況、警告に対してとつた被告人の行動、特に青木隊長の警告が激しかつたので、何かあると感じた被告人がタクシー乗場にさしかかる直前ころ青木を避けて反対側(デモ梯団の先頭部の左側)へ移動した点など、青木証言と符合する部分が多く、また大脇が述べるような警告がなされておれば、当然被告人やデモ参加者がこれを認識していなければならないのに、いずれもその認識がないこと、及び現に「五十嵐写真24」は被告人が青木隊長に対して反発ないし抗議をしている状況の一こまと見られることなどに徴すると、被告人に対してなされた警告は主として青木隊長によつてなされたものと認めるのが相当であり、自分がその警告を主に行つたという大脇の証言にはことさらに誇張して供述がなされているとの疑いがあり、青木証言及び被告人並びに森田、岡田、吉田らの証言に照らして措信できず、また大脇及び青木が述べる大脇の最後の警告の点について、その場所が第一鉄鋼ビル入口前付近路上であり得ないことは、既に被告人の逃走開始地点について説示したところから明らかであり、被告人が歩道際からすぐガードレールを飛び越えて逃走したことに徴すると、逃走開始地点と推認される前記配電盤付近路上においては、だ行進が行われてはいなかつたと推認され、また前示のとおり、「五十嵐写真24」に撮影されている第二鉄鋼ビル前のタクシー乗場付近から右配電盤付近に至るまでの間、被告人の梯団がだ行進をしたことは極めて疑わしく、そのことが証明されていないこと等にかんがみると、大脇が、被告人所属の梯団がだ行進をし、またはだ行進をしようとしたのでこれを阻止するため警告をしたとの供述部分もにわかに措信し難いのである。

(六)  その他、所論は、原判決が、被告人の「暴行」を目撃したと言う矢ケ崎、目黒、藤森の各証言の信用性を否定するに当り、同人らが本件犯行自体については詳細な証言をしているのに、その前後の状況については不明瞭な証言が多いことは、不自然不合理であり、かつその位置関係からして被告人の「暴行」の態様を子細に観察し得たとは考えられない、としている点を批難しているが、関係証拠によると、原判決が一七丁表一〇行目から一八丁裏二行目までに説示した認定判断は是認できないわけではなく、他の認定事実と関連してこれを右各証言の信用性否定の一事由としたからといつてこれを批難するのは当らない。なお、被告人に対する警告は青木隊長と大脇の両名がしたと述べながら、青木隊長のそれについては具体的な説明ができず、被告人が「暴行」を加える直前に大脇によつてなされたという警告についてはこれを強調する、目黒、矢ケ崎、藤森らの原審における証言部分も前記(五)において判示した経緯に照らしてにわかに信用しがたい。

(七)  更にまた、所論は、被告人がデモの隊列を離れ、突如としてガードレールを飛び越えて逃走した行為が、いかなる動機原因に由来するかについて、原判決が、単にマイクを使つて「部落」というシュプレヒコールをしただけで、青木隊長から検挙命令が出されたと称し、本当に検挙されるものと考え逃走した、という不合理な被告人の弁解を漫然と是認しているとして、これを批難しているが、青木隊長は、被告人がマイクを使い口頭でデモの方向などを指示したことはないが、被告人がマイクをもつて「部落」とコールすると、デモ隊が「解放」とこれに呼応し、被告人が「石川」とコールするとデモ隊が「奪還」と呼応するその調子が、ちようど駆け足の歩調に合致するところから、被告人が右のようなコールをすることによつて小きざみに駆け足をしながらジグザグデモをすることをあおつているというふうに理解し、デモ隊に比べ規制に当る機動隊員が少ないのでマイクであおるのをやめさせなければならないということから、被告人に「マイクをやめさせるべく」警告した、と述べ、マイクによるシュプレヒコール即ジグザグデモのあおり行為と考え、マイクによるコールをやめさせるために警告を繰り返したことが認められることを考慮すると、原判決が二〇丁表三行目から二四丁表二行目までに示した認定判断は是認できないわけではない。してみると、被告人が逃走したことも不自然不合理とはいえず、その弁解が理解できないわけではないとした原判決の判断が誤りであるとはいえない。

以上の次第で、所論はいずれも採用することができず、その他記録を精査し、当審における事実取調べの結果をあわせて検討しても、本件公訴事実について、犯罪の証明がないとした原判決の事実認定に誤りを見出すことはできない。この点の論旨も理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(内藤丈夫 前田一昭 阿部文洋)

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